【スキージャンプ】最後の1日に密着 栄光と苦悩…五輪メダリスト清水礼留飛ラストフライト
スキージャンプ、ソチ五輪団体銅メダリスト清水礼留飛選手。ジャンプを愛し、家族や仲間に愛された23年の現役生活。最後に手にしたものとは?
初出場、20歳で掴んだ銅メダル。あれから10年。
(清水礼留飛選手)
「(引退の理由は)世界で戦うために、このレベルではもう、僕は厳しいのかなって、心の底から思った」
オリンピックメダリストが迎えた、アスリートとして最後の1日。
(清水礼留飛選手)
「朝からいろんな人にメッセージをもらったり、そういうの見てたら涙が“ちょちょぎれそう”になったり引退なんだなってひしひしと感じてます」
この日を最後に23年の現役生活にピリオドを打つ、清水礼留飛30歳。
(清水礼留飛選手)
「いざ引退するって決めたときには、結構、走馬灯のように昔の思い出だったり、第一線でジャンプを跳ぶことないんだなって。(どんなことを思い出す?)いいときの思い出よりも苦しかった時間の方が記憶としては鮮明に残っている」
「一番最初に子供のころに思った夢というのは越えられないんだなと思いました。(子供のころの夢は?)金メダル」
新潟県出身。
複合一家で育った清水選手。高校3年生でジャンプ一本に専念
卒業後は雪印メグミルクに入社し、北海道にやってきました。
10代のうちに日本を代表するジャンパーに。
そして、メダリストまで駆け上がった。しかし…
(清水礼留飛選手)
「ソチオリンピックが終わった後に自分のジャンプのスタイルを変えないと、世界で一位取れないと思って、飛び方を変える。結果的にあんまりフィットしなかった」
頂点を目指す故に訪れた「地獄」。支えたのは、「家族の存在」でした。
(清水礼留飛選手)
「娘が生まれてからは最高の起爆剤でしたし、娘、妻にかっこいいところを見せたい、優勝したよっていえるように頑張るんだと一つのエナジーになっていた」
シーズン最終戦であり、名ジャンパーたちも引退の花道を飾った伝統の伊藤杯。
(雪印メグミルク・佐藤幸椰選手)
「少年の心を忘れず本当にジャンプが大好きでジャンプに対してしごくまっすぐな先輩」
(雪印メグミルク・伊東大貴コーチ)
「どんな条件でも攻めを忘れない。本当に後にも先にも忘れられない選手のひとり」
チームメートからのメッセージが書かれたスーツに、中学時代のヘルメット。これが本当のラストフライト。
(父・久之さん)
「必ずいつかはこういう日がくると思ってましたけど/「やっぱ空にいるの気持ちいいわ」っ&