『野ばら』高橋克雄監督・小川未明原作 2/2

作品についての詳細は1/2をご覧ください。 ★高橋克雄プロフイール 1958年に中央人形劇場(後の東京中央プロダクション)を設立。教育映画を多数製作した。70年大阪万博で日立グループ館をプロデュース。 外務省制作の『かぐやひめ』は海外の大使館で日本の文化を紹介する作品。音楽は作曲家の林光氏が手がけ、古歌を吉田日出子氏が熱唱。貴重なアニメーション映画であるが日本では未公開である。 1984年、放送規格のVTRアニメーションシステムを開発し、映像のデジタル化に貢献。NHK『番組のおしらせ』『みんなのうた』の他、コマーシャルなど多数製作した。『時を飛ぶUFO』(小学館・金の星社)シリーズ全4巻、『ナガサキのおばあちゃん』など著書多数。日本アニメーション協会・名誉会員。 ★高橋克雄とノーマン・マクラレン監督との関係 1967年、モントリオール万博の際、高橋の『一寸法師』がカナダ国立映画局で試写された際、高橋の親友で作曲家であった菊川氏が亡くなっことから高橋が号泣。マクラレン氏は菊川氏の音楽を誉めることで高橋を労い宥めてくれた。 試写の後、高橋氏の特撮の謎を解析したいとマクラレン氏は一週間、フィルムを貸してほしいと申し出た。その代わりに自分の撮影の秘密を教えるからと、彼が得意とするカリグラフィーの撮影マシンを高橋に教示。高橋はマクラレン氏が知りたがったブレ技法の謎解きをするなどして交流を深めた。 ★高橋克雄とアニメーション作家・瀬尾光世氏との関係 高橋克雄氏は小学館の仕事で長らく、瀬尾氏と交流を続けていた。『ドン保安官』他、高橋の創作する物語に瀬尾氏のすばらしい挿絵がついて当時の子どもたちには大人気の作品を多数発表していた。 瀬尾氏は戦後、瀬尾・太郎という名前の絵本作家として活躍しており高橋はうかつにもこのことに気が付かず、瀬尾氏が『桃太郎の海鷲』の作者であることを知らずに交際を続けていた。 日本アニメーション協会の再建設立総会で瀬尾氏が名誉会員に推薦された際、長崎の原爆で家族を亡くし、長崎被爆者の会員であった高橋は瀬尾光世氏が海軍入隊を奨励するアニメーション作品を製作していたことからこれに反対。この後、高橋は絵描きのせおさんが瀬尾光世氏本人であることを知り深く後悔し、ご本人にお詫びをしたというエピソードがある。 (戦時中、アニメーション映画の作家たちは自分の意志と関係なく作品製作をしなければならない状況があった。瀬尾光世氏はそうした時代を生きた貴重なアニメーション作家の一
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